【ブログVol.6】個人と組織の間の厄介な関係 – 第1部

「私をどう評価するか教えてもらえたら、私がどう振る舞うか教えましょう。」

この有名な引用文は、個人と組織の対立の本質を述べています。ゴールドラット博士によると、人はどう評価されるかに従って振る舞うものですが、その評価方法は必ずしも組織にとって利益になっていないのです。

そもそも、組織はなぜ従業員を評価するのでしょう???

あたなは配偶者や子供、親しい友人の成績を評価しますか? もちろん常に満たされるとは限らないある種の期待があるでしょうが、その期待を定量化する方法を知りたいですか?

実績を評価して得られるものは何でしょう?

実際ひとつ重要なことがあるとすれば、結果が最初の予想を外れた原因をさらに詳しく分析する必要があるかどうか分かることです。そのためには、期待値の記録が必要です。ところで、それはどうやっても一つの明確な数字にはなりませんよね、どうです?

私は父親として、たとえば「B以上」といった具合に、子供に良い成績を期待しました。しかし、私たちは成績が悪くても叱らず、その原因と次回までに何がやれるかを理解するよう努めました。他の親なら、子供にもっと勉強させるでしょう。しかしそんなに無理させる価値はありますか? 確かに、肯定的と否定的両方の反応を引き起こす「成績による評価」をすれば、学業成績は伸びるかもしれません。しかし、それより大事なのは、「それで子供の人生が豊かになるか?」です。

実績を評価したら本当に成績が伸びますか?

ゴールドラット博士は、間違った評価が全体のパフォーマンスをいかに大きく損なうかを示しました。実績の評価が間違ったメッセージを発する原因は次の3つです: 

  1. 評価尺度が間違っている。
  2. 依存 - 評価は、自分の成績だけではなく、別の人の成績など、他の要因にも依存する。
  3. 変動 - 自分の成績は変動する。その変動には、外的要因(たとえば頭痛)で説明がつくものもあれば、明確に説明できないものもある。

変動はどのくらい重大なのでしょう? 私はテレビのスポーツ番組を見て、選手のパフォーマンスに現れる原因不明の変化を見つけるのが好きです。それはテニスが最も顕著で、「凡ミス」の数と「ファーストサーブの成功率」がゲーム中に大きく変動します。それは、何をするにも我々の能力の変動が極めて大きい証拠です。

実績を評価する上でこの「依存と変動」の影響を無視すれば、従業員は評価に不信感を抱いて、自分に有利になるよう何としてもそれを操作しようとするようになります。

以上のことから、「複雑さ(依存)を無視すること不確さ (変動)を無視すること、どちらも信頼の欠如に直結する」のは、十分ご理解いただけたのではないでしょうか。

信頼関係の有無は、人生でもビジネスでも決定的に重要な因子で、組織運営では間違いなく最も重要です。組織が従業員を信用せずに実績評価を導入すれば、従業員は上司を信用しなくなり、組織全体の利益に反した行動を注意深く画策するよう仕向けることになります。

これはすべてCEOとオーナー(株主や場合によっては取締役会)の関係から始まります。CEOなら皆、組織としてオーナーの喜ぶ結果を確実に達成して、高く評価されたいのです。

CEOにとって間違いなく難しいのは、その結果を達成するために自分以外の従業員全員に彼らがやらないといけない事は何でも確実にやらせることです。ですから、可能であれば、部下にもっと努力するよう強いる評価尺度を課します。それで本当に従業員はもっと努力するのでしょうか? それとも、彼らはただ与えられた特定の評価尺度に合わせて使う能力を調整するだけで、他は重要ではないのでしょうか?

このロジックはどこか間違ってませんか?

ボックス2.3はどうですか、本当に事実ですか? もっと深く議論して、それをどう解消したらよいか方向性を探ってみましょう。


著者: エリ・シュラーゲンハイム
飽くなき挑戦心こそが私の人生をより興味深いものにしてくれます。私は組織が不確実性を無視しているのを見ると心配でたまりませんし、またそのようなリーダーに盲目的に従っている人々を理解することができません。

原文: The problematic relationships between the individual and the organization – Part 1

全ての記事: http://japan-toc-association.org/blog/