ゴールドラット博士が、マネージメント・アテンション(経営者とマネージャーの注意力/集中力)こそ究極の制約だと言ったのは、決定的競争力(DCE)の獲得によって、市場の需要を含む、その他すべての制約を強化して制約ではなくした後も、組織の成長速度は、マネージメント・アテンションのキャパに制限されるという意味です。
人は、一定の期間にどれくらいのことにちゃんと注意を払うことができるのでしょう? その言葉自身捕えどころがなく、たった一人に限ってもそれを測るのが非常に難しいのに、人の集団の注意力となると、そのキャパを測るのはもっとずっと難しくなります。しかし、考えたり管理したりしないといけないことを増やしていくとカオスになる、一定の限界が存在するのは確かです。特にマルチタスキングは弊害はよく知られていますよね。
マネージメント・アテンションのキャパシティとは、一定の期間でどれくらいの数の異なる問題を処理できるかということです。この記事では、特定の問題に対処する能力やスキルについては評価せず、単純に一定の期間でいくつちゃんと処理できるかという議論にしておきます。
その難しさの原因は、私たちは常に目一杯何かに注意を払わないといけないことにしているという、単純な事実です。私たちは「ぼーっと」しているのが耐えられないのです。私たちは常に何か考えています。そうして、いつも頭の中を忙しくしているせいで、自分はもう限界に近いのかどうか、簡単には答えられないのです。どうせ、緊急なことが起きれば、どんなことに頭が忙しかったにせよそれを放棄して、直ちに処理しないといけない新たな問題に頭を切り替えることになります。それで、我々に伸し掛かかってくる問題がいくつあろうが、時間を費やす価値がある問題を選んでおけば大抵は大丈夫だと、我々は簡単に言いがちです。
フォーカシングとは、相対的に重要度が低い問題は一端脇に置いて、より価値の高い問題の解決に我々を専念させるための、最大活用スキームです。しかし、私たちは、自分がフォーカスすると決めたことにほんの少ししか集中できていません。私たちは、それから離れるまでに、どれだけの時間一つの問題に深く集中できるか、制限されているのは確かです。これはつまり、複数の問題をマルチで考えないといけないということです。しかし、ごく少数の問題に意識を集中する努力をしないと、意味のあることは何も達成できません。
ですから、私たちの注意力を最も効果的に使うには、そこが極めて難しいところなのです。私たちはいくつかの問題に気を回さないといけませんが、あまり多くの問題に気を散らすわけにはいきません。そこで、すべての人が、ある程度自分の心を操る方法をなんとか習得したと仮定しましょう。それはつまり、自分の注意を必要とする重大な問題が多すぎて、自制心を失い情緒不安定になりかけたとき、それを自覚できるという意味です。私たちにできることは、どれを自分の頭から追い出すか全力を尽くして決めることです。そうすれば、キャパを超えて注意を払わないといけない状態には至らないはずです。これは非常に難しい行動の変化ですが、部分的にしかうまくできなくても、かなり大きな効果が期待できます。
マネージメント・アテンションは、組織の日常でどうして問題になると思いますか?
幹部マネージャーでも、注意を払わないといけない業務上の仕事は、彼らが注意を払うべき範囲全体のほんの一部にすぎません。私たちの注意を必要とするものには、仕事と無関係なものもあるのです。仕事が大好きな人は、よい結果を出したいという意欲が旺盛で、職場での重い責任を感じて、業務上の問題により多く注意を払います。しかし、それでも、家族、健康、趣味など、仕事以外の個人的な問題のどれにも、相応に気を配らないとなりません。
組織の立場からすれば、マネージャー全員の限られた注意力をきっちり使いたいところですが、ミスを犯して重大な決定を遅らせるような混乱を起こす寸前まで追い込むのは許されません。
私は、これまでいくつかの記事とウェビナーで、どんな組織にも重要なフローが2つあるという考えを述べてきました:
- 顧客に至る現在の価値フロー。これには、短期的計画の立案と実行、コントロールを含めて、現在の顧客にサービスを提供するために行うことすべてが含まれる。
- 将来の価値フローを生むための開発のフロー。これは、組織のゴールに向かって組織を優位な立場にすることを狙った取り組みのフローである。
この価値のフローの中に、厄介なマネージメント・アテンションという制約が存在するらしいということでしょうか?
その状態になれば、ちゃんとデリバリをコントロールできなくなります。注文の中には忘れられたり長く放置されたりするものもでてきて、「約束の納期間近」になって顧客が騒がないと、約束どおり届く可能性が殆どなくなります。そんな状況では、組織がカオスになって、混沌としたパフォーマンスで、人間が作った仕組みはどれも長生きしません。
ハッキリしているのは、この価値のフローの中で、マネージャーの注意力が制約になったら耐え難いということです。それで、どの組織も、競合と互角なレベルの安定性のある価値フローを維持するのに適したスキルを持つマネージャーを欲しがるのです。その典型的なオペレーション・マネージャーは、積極的に火を探して消せる人です。でも、そういうマネージャーは、新しいビジョンを考える仕事はあまり得意ではありません。
しかし、将来に向けた取り組みのフローの方を見ると、状況はまったく違います。現状の業績を向上させるためのアイデアは、その開発、慎重なチェック、インプリメントに必要なマネージメント・アテンションを大きく超えるほど、沢山あるのが普通です。その結果過度な負担がかかり、将来に向けた改善計画はインプリメントに非常に長い時間がかかり、新製品のフローも遅く不安定な状態なのに、マネージメント・アテンションは、あまりに長く、同じ顧客、同じ製品、同じプロセスの現状に捕らわれ過ぎています。
アイデアは無限にあるので、マネージメント・アテンションが将来に向けた取り組みのフローの制約なのは正しいとして、マネージメントがフォーカスを失わないためには強力な規律が必要です。それは、まず組織の戦略に合意を取り、それをベースに、素のアイデアのどれを吟味するかに同意を得てから、どのアイデアを詳細に検討するか決めるプロセスを経た上で、実施に移すものを小数に絞り込むということです。我々の知識不足で、現時点では、アテンションのキャパを測るのは無理なので、経営陣として対処しないといけない未解決問題の量を示す、何か大まかなルールを設けるべきでしょう。
この種の規律では、それら課題をマネージャー各々が完了責任を負う「ミッション」としてモニターして、それぞれ期限を割り当て、未完了ミッションの数を監視することが求めらます。そして、遅れたミッションが多過ぎないか確認して、一人でも負荷が超過したマネージャーがいる兆候があれば、上記のルールを更新しなければなりません。
しかし、些細な問題まで「ミッション」に数えるのは現実的ではありません。マネージャーは、絶対に火消しをせねばならず、それ以外の緊急な問題と短時間で終わる多くの小さな問題を処理しないといけません。もし部下に権限を委譲できれば、どのマネージャーも、限界に近い重荷を大幅に軽くできます。しかし、習慣を変えるというのは難しいもので、ほとんどの場合、マネージャーはそういうものだと諦めて、結局のところ、マネージャーとして管理しなといけない小さな問題すべてに加えて、典型的なマネージャーなら中規模と大規模なミッションをどれだけ処理できるかという、公平で平凡な評価にごく近いものになってしまいます。
さらにマネジメントのキャパシティが必要になったらどうなるんでしょう?
マネージメント・アテンションという制約を強化するのはどれほど難しいか? 簡単なのは、マネージャーの数を増やすことです。でも、問題が2つあります。1つは「限界利益/生産性の低下」です。既にいるマネージャーたちのコミュニケーションの負荷が増えるので、新しいマネージャーをいくら増員しても、マネージメント・アテンションの総キャパは、今いるマネージャーと比べると、増員分増えるわけではありません。もう1つの問題は、管理構造全体を再チェックして、変えないといけないかもしれないことです。
マネージャーの肩に負える負担を増すもう1つの方法は、部下への権限委譲で、管理階層の再構築を必要としません。でも、ここで問題になるのは、マネージャーが部下を信頼できるよう自分を変えることは、どの問題に注意を集中し、どれは脇に置いておくかのコントロールを改めるより、ずっと難しいことです。
ですから、部下に権限を委譲して管理者ピラミッドを拡げるのは、マネージメントのキャパシティを増やせる正しい方法ですが、経営トップとしての継続的な義務は、現状をうまくコントロールし、新たな脅威出現の予兆を探し出すにも、ある程度注意を割きつつ、経営トップとして選んだ最も将来性のある課題に、全マネージャーの注意を集中させることです。
著者:エリ・シュラーゲンハイム
飽くなき挑戦心こそが私の人生をより興味深いものにしてくれます。私は組織が不確実性を無視しているのを見ると心配でたまりませんし、またそのようなリーダーに盲目的に従っている人々を理解することができません。
この記事の原文: Raw Thoughts on the Management Attention Constraint