【ブログVol.110】意思決定:感情とロジックの対話

私たちTOCの仲間は、人は、論理的な思考をする存在であり、全力を尽くしてものごとを明晰に考えようとし、それによって最良の結論を導くことができると考えています。では、我々は明晰な思考ができるとして、それが私たちの意思決定にどう影響するのでしょうか? また、他の人に、明晰な思考による分析に基づく正しい意思決定をさせようとするとき、明晰に考える能力が本当に役に立つのでしょうか?

この点は、意思決定は論理よりも感情に基づいて行われるという説が有力です。

この主張は、脳の構造と機能だけでなく、ロジックではどんな意思決定もできないという論理的な分析の結果からも、正しいのは明らかです。なぜなら、何を成たいか何を我慢できないかは、ロジックでは決められないからです。抽象的なロジックは目標や望みを持ち合わせていません。より多くお金を稼ぐことにどれほどの意味があるのか、一人暮らしか家族と同居か、あるいは生きるか死ぬかさえ、ロジックで決めるのは無理です。それら重要な選択はすべて我々の感情で決まり、価値ある目標はどれも感情的なものです。また、我々が考えるべきリスクはすべて、それにより被る損害を見積もるとき感情が関わります。「損害」の大きさは感情が決めるのです。ですから、意思決定を行うには、様々な潜在的結果に対する我々の好感あるいは反感を考慮しなければなりません。ロジックで損害を数値化するのは自由ですが、たとえば$1,000の損害といっても、それがどれ程のものかを解釈するのは感情です。

だとするなら、 意思決定でのロジックの役割は何でしょう?

第一、感情が設定した目標を達成する合理的な方法を探すのがロジックです。車を買いたいですか? ロジックは、経済的な影響を示し、あなたの新車への人々の反応を予測しますが、あなたにとって他人の熱狂的な反応がどれほどの喜びになるかまでは教えてくれません。感情がその感覚を論理的な分析プロセスに入れ込まない限り、ロジックが車の美しさや走行感に無頓着なのは当然です。特定ニーズ向けの車なら、車の性能がそのニーズを十分満たすかどうか論理的に示せます。ロジックを用いると、貯金不足で欲しいものが買えないといった苦情が家族から出るだろうみたいな、将来の問題をいくつか予測できます。

このように、ロジックは意思決定の良い結果と悪い結果の両方を見つけるために使われます。別の人にもの凄く腹を立てているなら、ロジックは相手の顔を殴るという選択肢を示すと同時に、そのせいで起き得る悪い結果も警告します。最終的に決めるのは感情です。相手を殴る満足はその結果より価値が高いのか? それは感情と論理的な分析と予測の間の細かな調整の部分です。

詰るところ、すべての決定は感情的なものなのは間違いありません。決めた後、その理由を正当化するのにロジックが使われるのもまた真実です。

しかし、ロジックは意思決定そのもので重要な役割りを演じます。そういう意思決定に及ぼし得る感情的な影響は後で述べますが、多くの経営判断がそうであるように、個人への影響があまりハッキリしない意思決定では、ロジックはより大きな役割りを果たします。他の人が下す意思決定に影響を与えようと思うなら、非常に強力なロジックを用いて賛否両論を浮き彫りにして、相手側の感情に影響を与えるよう意図的に伝えないといけません。因果関係を説明するTOCのツールは、そういう目的に最適ですが、感情の効果が因果関係に含まれていないといけません。

意思決定すべて何がしか選択を伴います。我々は、日常的な普通の意思決定では意識せず素早く対応できます。過去似た例のある意思決定では、今までの惰性の踏襲が大きな役割を果たしますが、仮に使ったとして、ロジカルな分析で何か悪い結果に気付づいたら、そういうルーチンワーク的な意思決定にも疑念が沸くかもしれません。そういう疑念が出てきたら、そのロジカルな主張を拒絶するか、その影響を検討した後でしか決定を下さないか、どちらかを感情で選ばなければなりません。すでに確立したモデルと衝突するという理由でロジカルな主張を拒否するのが極めて普通ですが、将来そのロジカルな主張をもう一度検討する羽目になるかもしれません。

相手を変えようと思う人は、あり得る反応として盲目的な拒絶も頭に入れておかないといけません。それは、変えさせられるという負の感情にある恐怖に気付かないと、論理的には理解できないのです。ロジカルな分析に感情を考慮するには、そこに関わる感情をよく理解しないといけません。

ゴールドラット博士が開発したバイイン・プロセスは、組織変革に向けたものです。そのプロセスの最初のレベルは、問題への合意を得ることです。そのポイントは、「問題」は組織のものを指すことです。しかし、意思決定者は特定の個人で、その人は「問題」が自分個人の利害にどう影響するか心配します。ですから、同じ問題でも考えないといけない2つの異なる設定があるのです。

たとえば、プロジェクトを管理するにおける一般的な問題をプロジェクトマネージャーに認識させたいとしましょう。殆どのプロジェクトは、当初の計画より長い時間かかり、予算は超過し、成果は未達のものがあるのは、皆知っています。それは、一旦プロジェクトを受けると決めたら、納期と品質を保証しなければならない組織にとって、間違いなく問題です。一方、組織は組織で遅延プロジェクトに悩んでいるので、経営トップとしては、組織のリソースをうまく回さないといけません。

普通のプロジェクトマネージャーは、プロジェクトの遅延について個人的な側面をどう診断するのでしょう? 後のプロジェクトの成績が前のプロジェクトとあまり変わらない場合、気持ちにどういう変化が出るのでしょう? プロジェクトマネージャーの感情として、組織の将来の状態について、本当は何を心配するのでしょうか?  プロジェクトの成績が以前とあまり変わらないと、個人の失敗だと思うのでしょうか? 自分個人の評価が落ちるのを心配するのでしょうか?

因果関係の論理的な分析では、話し合う人々の個人の気持ちを含めることが絶対必要だという事実を、私たちは認識しておかないといけません。

また、感情は、行動、者の見方、応答、意思決定といった、別の形の影響として現れる事実も知っておく必要があります。そういう感情が引き起こす影響を不合理だと思ってはいけません。多くの場合、相手の感情を理解すれば、完全な合理性を映し出したものだと分かるはずです。

経営上の意思決定でのロジックの役割に影響を与える感情は、下記のとおり2種類あります。

  1. 論理的に思考できるポジティブな感情。成功への強い情熱を持つ人々は、相反する2つの感情のどちらかを身につけなければなりません。一つは客観的に現実を見たいという欲望です。この欲望は、ロジカルな分析を重んじる気持ちを生みます。もう一つの感情は、不思議と正しい賭けを一か八かやって勝てるという「第六感」を養いたい欲望です。第一の客観的でありたい感情は、直接的に論理を重んじる気持ちを起こさせ、適切にロジックを使う努力をさせます。大部分の優秀なマネージャーにそれが見られます。第二の感情は、喜んで大きなリスクを負う用意ができている人たちのものです。彼らはそう優秀なマネージャーではなくても、成功すれば優秀なビジネスマンになります。その人々はロジックよりはるかに自分の感情を信頼します。
  2. 不確実さに対する恐怖への対処の感情。この感情は「戦い」か「逃走」の選択に結び付きます。不確実さと戦うことは、ロジカルに勝算を分析し、その被害を軽くする方法を体系的に探す動機を与えます。そのため、彼らは客観性と論理的思考を重んじます。それ以外の人々は、恐怖の対象そのものより、むしろ恐怖を感じる状態を嫌います。癌があるかもしれないと疑われたら、私は事実を知りたくないので、必要な検査から逃げるかもしれません。そういう人は、自分が望む現実を見ようとします。  

一般的に言えば、恐怖は様々な感情の危険な発生源で、我々の意思決定を大きく左右します。ロジックは勇敢にすべきか臆病にすべきかは教えません。先ず感情が行動パターンを選び、そしたらロジックが目的(目標)を設定して、それを達成する最良の方法を探せるようになります。

私が思うには、マネージャーの一貫性のない行動の主な原因は恐怖です。殆んどのマネージャーは組織のために一生懸命最善を尽くしていますが、彼ら個人の感情への何か潜在的な影響のせいで、それと違う意思決定をしてしまう可能性があります。ですから、一貫性の無さは非合理ではなく、彼ら自身の感情と利己心の働きを映しているに過ぎません。私たちは、ロジックを使ってその矛盾(一貫性の無さ)を特定して合理的に説明できます。もしそれができないなら、私たちが理解しようとする相手の不可解な性分ではなく、自分たちのロジックの方が間違っているのが普通です。


著者:エリ・シュラーゲンハイム
飽くなき挑戦心こそが私の人生をより興味深いものにしてくれます。私は組織が不確実性を無視しているのを見ると心配でたまりませんし、またそのようなリーダーに盲目的に従っている人々を理解することができません。

70歳にもなってブログを書く理由
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この記事の原文: Decision Making: between Emotions and Logic

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