【ブログVol.7】個人と組織の間の厄介な関係 – 第2部

通説:従業員の多くは、要求された努力をすべて実行しようとは思わない

問題は、この通説が本当かどうかではなく、むしろ思う事が自己実現しているのではないか、つまり、従業員は自分が信頼されていないと感じて過度な仕事と努力を避けようとするのではないかということです。自分が信頼されていないとしたら、それをやり遂げて満足を得たいという気持ちも消え失せますよね。

仮にマネジメント(経営層)が信頼の文化を生み出せたとしましょう。果たして、従業員は喜んで自分が働く組織に忠実であろうとするでしょうか? 私が言う「忠実」とは、組織のものを達成するために、できることは全てやるということです。

まず、従業員はお金が必要だから会社に行くのです。そこが起点でいくつか悪影響が生じます。

  1. 自分の価値に見合う報酬が貰えていないと思う。そうすると、従業員は、不満を持ち、組織に対し忠誠心とは逆の敵対心を抱くようになる。
  2. お金は大事なので、どこか条件の良いところが現れるまで今の組織に留まろうとする。そのために一生懸命「良く」思われるよう振る舞わざるを得ない。少なくとも「まあまあ」とは思われたい。

しかし他方で、従業員が生活の大部分を職場で過ごすという事実から良い影響が生じるのです:

  1. ほとんどの従業員は、職場にいる間に「何か人の力になる」ことをしたいと思っているので、そうしない理由がない限り期待に応えて喜んで働くのが普通である。
  2. 人より秀でたいという情熱が強い従業員はそれに相応しい機会を求める。

ここでの重要な所見は次のとおりです:

従業員が組織に忠実であろうとする方が、組織が従業員に誠実であろうとするよりも容易である。

組織は常にコストを調べて従業員から得られる感覚的な価値と比較します。しかし、以上でお分かりのとおり、人の価値を査定するのは難しい。まして、従業員に対して不誠実であることの間接的な損害を見積もるのはさらに難しいのです。なぜなら、従業員の多くが幻滅して、気付かれないように敵意さえ抱くようになるからです。

以上のことから、経営者が従業員を信頼し、彼らに誠実であっても、従業員全員が組織に忠実である保証はないように思えます。なぜなら、誰か一人でも自分の報酬が低いと感じてその信頼を裏切れば、その条件は崩れるからです。そうだとするなら、組織は従業員の士気低下や不忠の兆候を積極的に汲み取ろうとすべきです。

しかし、従業員全員が組織に忠実である保証が必要だからといって、個人の成績を評価することがその解決策だということでは必ずしもありません。

従業員を査定する組織の本当のニーズは何か?

私が挙げるとすれば次の2つです:

  1. 損害を与える従業員を見つける。 単に適正な能力を欠いただけの人もいるだろう。それ以外は不忠な「腐ったリンゴ」かもしれない。そういう人は周りまで不忠にする悪影響を及ぼすだろう。
  2. 将来有望な「スター」を見つける。つまり、ちゃんと育てれば将来大きな価値を生むだろう有望な従業員。

それ以外は、できる環境を経営者が与えれば価値を生む良い従業員です。これ以上厳密に成績を査定する意味がありますか?

組織が敬意と忠誠心の文化を維持し続ければ、従業員は組織のために最善を尽くします。その仕事は彼らの人生の大きな部分を占めるものだからです。組織としてすべきは、一定の労働倫理が守られているか確認することであり、それが犯されている兆候があるとき、唯一そのときに限って、それを犯した従業員は追い出されるべきです。

場合によっては、もはや価値を生み出せなくなった従業員は手放すしかないかもしれません。大事なのは、そうなった時に経営者は、それは自分の失敗だと認めることです! そして経営者は、悲惨な失敗を繰り返さないために、組織に留まってくれている従業員の信頼と忠誠心を取り戻さねばならないことを覚悟しなければいけません。


著者: エリ・シュラーゲンハイム
飽くなき挑戦心こそが私の人生をより興味深いものにしてくれます。私は組織が不確実性を無視しているのを見ると心配でたまりませんし、またそのようなリーダーに盲目的に従っている人々を理解することができません。

この記事の原文: The problematic relationships between the individual and the organization – Part 2

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