まだ読んでなければ、この記事の前に「価値のカテゴリー」という記事を読んでください。
仮にあなたは新しいメガネを欲しいとしましょう。もしぴったり合うメガネを見つけたら、それにいくら払いますか?
これは間違いなく難しい問題です。なぜなら、価値をお金に翻訳するには複数のパラメータが影響するからです。
- 実用のニーズを考えれば: 新しいメガネでどんな制限が解消または軽減するか?
- ステータスとしての価値を考えれば: このメガネをかけた私を見て、他の人々はどう思うだろうか?
- 鏡を見たときの自分自身の喜びを考えれば: そのメガネをかけた自分の姿を気に入る価値はいくらか?
- いくらお金があるか? 本当に一番似合うメガネを買える余裕があるのか? 何か他を諦めないといけないか? もしそうだとすれば、その価値はいくらか?
- そのメガネの「公正な価格」はいくらか? 誰でも、払うべき公正な金額より高く払うのは嫌だ。
最初の3つのパラメータは、単純に価値の3つカテゴリーの違いを表わしたものです。私個人としてはこの場合は実用のニーズが一番重要だと思っています。でも、他の人は全く違う評価をしそうな気がします。
選択を迫られるたびに、これら主な5つのパラメータがすべて絡む決断をしなければなりません。ややこしい決断や決定を迫られたら常に、元からそこに内在しているシンプルさ(Inherent Simplicity)を見つけるべきです。その意味で、最後のパラメータ、「公正な」価格かどうかという、あまり理屈っぽくない質問は、意思決定プロセスを大幅に単純化します。なぜなら、私たちの知覚価値をお金に翻訳する代わりに、共通の価値を表わす普遍的な「公正な価格」に頼ることができるからです。
公正な価格を設定するには、基準価格を見つけなければなりません。しかし、メガネの共通の基準価格はいったいどんなものでしょう? (ステータスとしての価値に重要な)様々な審美眼的パラメータやブランドに加えて、実用ニーズとして様々な特徴や機能(多焦点、抗傷など)があり得るので、たとえば機能性とブランドの組み合わせによって$15や$200、$800といった具合に、複数の基準価格が存在します。特別なものを選択するときは、正当な理由があれば基準価格からの一定のずれは「許容」してよいでしょう。つまり、基準価格が平均の価値に見合う金額を表わすものだとすれば、特定の商品が平均よりやや「良い」と感じるなら、顧客は、その付加的な価値が基準との金額のズレに見合うものかどうか判断するだけです。この判断は基準からのズレが比較的小さいときはうまくいきます。多焦点メガネには通常のメガネとは別に基準価格があるように、ズレが大きい場合は、通常のものとは別の基準価格を探す必要があります。
以上から分かるように、マーケティングは、基準価格と正面から向き合って、個別の商品やサービスの付加価値に見合うよう、通常より高く請求する正当な理由を見つけるか、通常とは別の基準価格を設定しなければなりません。主な価値が実用ニーズがベースであれば、その商品が提供する個別の実用ニーズ固有の価値があって当然です。ステータスとしての価値には、それ独自のルールがあり、御意見番のオピニオン・リーダーが居て、彼らが商品の価値を認めれば、かなり高い値段を付けてもかまわないし望ましくさえあります。本当に難しいのは娯楽や楽しさの類の価値です。顧客が価値をお金に翻訳するのは非常に困難な上に、決して我々に本心を明かすつもりがないからです。基準より大幅に高い商品のイメージを市場に伝えるのは、マーケティングにおける真の挑戦です。
基準価格が有り難いのは、売り手と買い手の交渉を限定できることです。何も基準がないと、顧客の仕様に従って商品を開発するプロジェクトのように、買い手と売り手の両方とも原価積み上げの罠に陥ります。そうなると知らないうちに両方に不利なLose-Loseの状態になります。私は、我々が未だに普遍的なWin-Winの解決法を見つけていないのが気掛かりです。あなたは見つけましたか?
著者:エリ・シュラーゲンハイム
飽くなき挑戦心こそが私の人生をより興味深いものにしてくれます。私は組織が不確実性を無視しているのを見ると心配でたまりませんし、またそのようなリーダーに盲目的に従っている人々を理解することができません。
この記事の原文: Translating Value to Money