下の小さな因果関係ロジックをちょっと見てください。 このロジックは正しいでしょうか?
さて、原因1~3は正しくて結果4は正しくないなんて、現実にあり得るでしょうか?
このロジックが不十分だという理由は、考えたら様々出てきます。たとえば、全体主義国家みたいに顧客が自分で意思決定する自由がないなら、統治者が好む別のものが売れる可能性もあります。それとも、製品P1のブランド名は知名度が非常に低いかもしれません。
とにかく一般的に言えるのは、「実際の原因と結果の繋がりの大半は、100%正しいということはない」ということです。
つまり、望ましい論理的な繋がりの多くは統計的にしか成り立たないのです。なぜなら、軸になる因果関係を歪ませる不確実な別の作用が働くかもしれないからです。実際、不確実性とは、我々が気づいていない見落とし、あるいは知ってはいるが自分の環境に実際存在するか否か確認できないということです。あらゆる点から考えて、不確実性と我々が得られない情報の間に違いは全くないのです。
この解釈にはまだ先があります。次のような一連の論理的な繋がりがあるとしましょう:
eff1 –> eff2 –> eff3 –> eff4 –> eff5
どの矢印も90%の確率で正しい(つまり、その通りになる場合が90%ある)とすれば、eff1から eff5までの長い矢印が正しい確率は60%そこそこしかありません。
ここで私が言いたいのは、無視するよりずっと良いので因果関係は使うべきなのですが、我々はすべて知っているという確証は決して無いことです! 思考プロセス(TP:Thinking Process)を使って様々な潜在的結果を説明することの現実的な悪い副作用(NBr:Negative Branch)は、予想が外れると人々は失望して原因をTPとロジックのせいにして、それ以後TPを使うのを嫌がるかもしれないことです。つまり、『 もし( [私はTPが示す因果関係に従って行動する] かつ [ときどき私が予想したとおりの結果にならない] ) とすれば [私はTPを使うのを止める] 』という、間違ったロジックになるのです。
情報が不完全だという制限を真剣に受け止めるとすれば、この深刻で害のある悪い副作用に対処するには、私たちの日常に不確実性が存在するのを認め、不完全な情報でも全くないよりは良いという考え方に立つことです。やることすべて利益が出るという確証は決してないのです。しかし、良いロジックを使えば、ほとんどの場合、損失の総計より遥かに大きな利益が得られるに違いありません。
我々が行うどのステップにも何かまずいことが起きる可能性があると思うに越したことはありません。そうすれば、我々は自ずと結果を確認し、予想と違うならロジックを再吟味するようになります。我々のロジックには常に間違いがある可能性があり、間違いを見つけてその部分をより正しく改めることで、因果関係の論理的な理解をより深めるのです。仮に何も間違いが見からなくても、人生を台無しにするような何かすごい見落としが存在する余地があります。それが不確実性を受け入れる代償です。
著者:エリ・シュラーゲンハイム
飽くなき挑戦心こそが私の人生をより興味深いものにしてくれます。私は組織が不確実性を無視しているのを見ると心配でたまりませんし、またそのようなリーダーに盲目的に従っている人々を理解することができません。