この記事は「決断しなければならない - ある経営者の教訓」という前回の投稿記事の続編です。
ノーベル賞受賞者Herbert Simon教授は、人間はオプティマイザーではない、つまり最適な究極の選択は求めないものだと主張しました。Simon教授は、一定の基準を決めてそれを満たすものを探し、すべて満たすものが見つかればそれで満足な選択とする、私やあなたのような人たちが行う意思決定のやり方を「満足化」と呼びました。それはTOCで言う「十分良い(まずまずの)解決策」という考え方と非常に似ています。
私が言いたいのは、人は実はこの満足者なのに、組織の代表として意思決定するとなるや、懸命に最適な決定を探し求めていることを示さざるを得なくなるということです。しかも、本当に最適と言える意思決定に辿り着くには、手に負えないほどの複雑さと不確実性が存在します。そうだとすると、Simon教授以外の学者が書いた “本”に従って最適解を探そうとしても惨めな結果になる気がします。しかも、そういう決定の多くは間違いで、まずい結果を招くのです。
(個人的な事の場合とは)異なる行動をとってしまう一般的な原因は次のとおりです。
マネージャーは、意思決定を行った時点の状況が無視されて、不当な事後批判を受けることを恐れている。
分かる。そこで過ちを犯したと認めたら、2つの望ましくない結果が引き起こされます:
- その「過ち」を理由に、解雇や昇進取り消しといった罰を受ける。
- 高い価値を生み出して認められているという自尊心を失う。これは経営幹部や専門性の高い人々にとっては非常に重大である。
したがって、マネージャーは不当な批判を恐れて2つの防衛手段を取ろうとします:
- 過剰に保守的になる。
- 既存の「規則や慣例」に従う。
前回の記事に対するPreston Sumner氏の非常に興味深いコメントにあるとおり、これとは真逆のことをするCEOもいて、そういう人は自分でも許容できないような大きなリスクを冒します。その傾向は、大きな組織の経営幹部への報酬の払い方に起因しています。逆の人はそうではありませんが、そういったCEOは高額なボーナスにみあう素晴らしい成果を迫られると、欲がわいて高いリスクを冒そうとするのです。そんなことを本当に株主が望むのでしょうか?
CEOであれ普通の営業マンであれ、実際の財務的な実績を報酬に結び付けて人を「やる気にさせる」というのは重大な間違いです。お金は常に必要条件ですが、自ら進んで組織の利益を追求したくなる十分条件にはとてもなり得ません。
ゴールドラット博士は、組織というものは不確実な状況で確かさを求めるものだと言っていました。不確実性を無視してしまうと、人はどんな意思決定もすべて実際の結果で評価できるのだと勘違いしてしまいます。高い不確実性と付き合わざるを得ないと知ったなら、どんなことが起きるのか、潜在的な損失だけでなく、潜在的な利益も理性的に査定して決定の正否を評価する方法を学ばなければなりません。
まだ始まったばかりです。しかし私は断言できます。隠さず目に見える形で不確実性に対処していないことが、ほとんどの組織のコアな問題です! 私は必ず、このコアな問題が引き起こすもっと望ましくない結果に重点を置いて、必ず再びこの話題を取り上げます。
著者: エリ・シュラーゲンハイム
飽くなき挑戦心こそが私の人生をより興味深いものにしてくれます。私は組織が不確実性を無視しているのを見ると心配でたまりませんし、またそのようなリーダーに盲目的に従っている人々を理解することができません。
この記事の原文: How come managers take different decisions for their organization than for themselves?