ゴールドラット博士は矛盾に気づかないといけないと言いました。また、そうするには勇気が必要だとまで主張しています。もし矛盾を認めたのなら、あなたの基本的な仮定のどれかを改めざるを得ないとしても、甘んじてそれを受け入れるよう迫られます。
必要なのが「勇気」かどうかは、私には確信がありません。なぜなら、その矛盾を無視する方を選んだら、我々の現実を見誤る脅威に自分を晒すことになるだろうからです。私たちに必要な身の処し方は、自分たちは無知だったから過ちを犯したという事実を認め、同じ過ちを二度と繰り返さないようその過ちを改めることです。
私はプログラミングを学び始めたころ、私が犯したミス、ソフトウェア用語ではバグというが、それが膨大な数だったことを知りました。それで最初めて、それを間違わず正しくできるほど私は賢くないという事実を受け入れざるを得ませんでした。幸いにも、どのプログラマもあまりに沢山バグを作るので、ソフトウェア開発の世界では、バグがあるのは最初から認めて、プログラマは皆できる限り早くバグを直すはずだと思うのを文化とするしかなかったのです。ソフトウェア開発は今もそこだけは変わっていないと思います。しかし、本当に恐ろしいと思うのは、私は「それ以外のところ」でもおそらく沢山過ちを犯しているが、その過ちを私の顔に投げつけてくれるコンピュータを持っていないことです。
脅威を事前に察知できないのは、その表面化しつある脅威の兆候を無視するという過ちです。
可能な限り早く新たな脅威を察知して、その脅威を無力化するに適切なアクションを見つけるのが私たちの責任です。
それが現実になって我々や我々の組織を危機に陥し入れる前に防げる脅威もあるはずです。私たちができるのは「コントロールメカニズム」を設けることです。この「コントロール」という言葉の私なりの定義は次のとおりです:
悪いことが起きそうな不吉な兆候を示す情報を常時監視して、それに対して是正措置を講じることで、不確実性に対処するという、反応的なメカニズム
バッファ管理、警報システム、会計監査、定期健康診断あるいは定期的な業績評価は、どれも、起きて当然と我々が想定している様々な潜在的脅威に対するコントロールメカニズムです。
新しい脅威でも、出現したら目に見えるほど分かり易く、ほぼ瞬時に知れるものもあります。たとえば、私たちの利益を損なうだろう税制改正案がそれです。そういう公の脅威を見過ごすのは、さらに大きな脅威の前兆です。だって、そんなに分かり易い脅威を見過ごしたのなら、他にどれほど沢山の新たな脅威を見過ごしたと思いますか?
思いもしなかった新しい脅威の出現を察知するに、いったい我々に何ができるのか?
新たに発生する脅威は我々の予想と矛盾するシグナルを発します。私たちは、まさに何か予期しないことが起きた妙な感覚に襲われると、何か特別な呼び方をします。私たちは、そういう感覚を思いもしない驚きと言うのです。
思いもしない驚きには、良いことも悪いこともありますが、一般的に、思いもしない驚きというのはすべて、私たちの脳が無意識に使っている間違ったパラダイムを暗示しています。因みに、ひとつのパラダイムは、実は、私たちが無意識に真実だと思っている因果関係の小さな枝分かれ(ブランチ)です。 例えば次のようなものです:
このパラダイムは常に正しいですか? 部下がすべきことをしないこともありますよね。それはそのロジックに間違いがあるというシグナルです。でもそれが起きた時点では、何が間違っているのか定かではありません。
そのシグナルの核心は、次のような予想と結果のギャップです:
私の予想:私の部下は、私が彼らに指示したことは、そのとおり正確に行う!
今、私は困っている:私はDaveに取引Xについて事実を漏らさず文書化するよう指示した。ところが私が受け取ったのは、ほとんど自明な事実だけで、重要な出来事の多くが欠落した、たった1ページの報告だ。
私はDaveに腹を立てている。これは私が彼に期待したものではない。 どうしよう?
我々は、欲しいものと得たもののギャップに対処するのが普通です。組織は、計画と実行のギャップをチェックするのが普通です。私は、実現可能な期待と実際の結果のギャップを指摘して、間違ったパラダイムを正す大事なチャンスにします。
では、取引XについてDaveが短すぎる報告をしたという、先の簡単なケースに戻りましょう。そのギャップが間違ったパラダイムを示唆すると言うが、それは何でしょう? 私は何をすべきかちゃんと説明した、しかも私はボスです。
初めに考えられる理由としては次の3つ(もっとあるはずだが)あります:
- Daveは私が何を彼に指示したかどうでもよかった
- Daveは他にしなければいけないことが沢山あって、あまりに忙し過ぎた
- Daveは要求された詳細さのレベルを理解していなかった
本当は何が拙かったのか理解するには、事実を確認して、私たち、つまり私とDaveが行動の拠り所にしているパラダイム(考え方)にまで踏み込んで考えるようにしないといけません。
ここでは完全な分析はしませんが、次のような現実認識ができたとしましょう:
私の指示に対する「何のために?」という質問に、私が明確に答えていないとすれば、私がこうあるべきと思ったものと結果が違った可能性がある。
これが初めて学んだ教訓だとしたら、そのポジティブな効果がどこまで波及するか分かりますか? 自分の指示どおり実行されない可能性は、すべての管理者にとっての脅威です。もし指示する側の管理者が、指示したあれこれをすべて何故やらないといけないか説明する必要性を本当に納得できたら、その脅威の大部分が起こらないでしょう。しかしながら、別の間違ったパラダイムの結果として、同様のギャップが起きる可能性はまだ残っています。ですから、さらに多くの思いもしない驚きを発見して、もっと先の学習プロセスに進むべく、前向きにならなければなりません。
著者:エリ・シュラーゲンハイム
飽くなき挑戦心こそが私の人生をより興味深いものにしてくれます。私は組織が不確実性を無視しているのを見ると心配でたまりませんし、またそのようなリーダーに盲目的に従っている人々を理解することができません。
この記事の原文: Indentifying the Emergence of Threats