【ブログVol.79】本当に助けが必要なとき

顧客でインプリメントを指導するコンサルタントか、自社で変革をリードしている実践家か、どちらの立場にせよ、あなたはきっとそのうちに、心の準備ができていない結果に遭遇する羽目になる事があるはずです。

たとえば、新しく設定した出荷バッファに合わせて生産指示の投入を絞ったとします。12ヶ月後には仕掛りが減って納期が守れるようになっていました。すると、23の非制約が3日連続でアイドル状態になっていることを心配した製造部長があなたのところにやってきて言いました。これって非制約であることの当然の状態なの? ひょっとしてバッファが小さ過ぎるってことじゃないの? それともあの3か所のワークセンターの上流に別の制約が現れた可能性はない? 本当に確かなのか? もし間違ってたら君は非常にまずい事になるよ!

その他では、TOCのソリューションのどこか細かなところで苦労して、自分自身が疑問に思うこともあるでしょう: これは本当にこの場合当てはまるのか?

たとえば、CCPMのプロジェクトネットワークにあるタスクは全部期間を半分にしないといけないのか? レッドゾーンは常にバッファの3分のでないといけないのか? スーパーマーケットの店舗に置くすべてのSKUの完璧なアベイラビリティを保証しないといけなのか? 制約を強化する前に必ず制約を最大活用しないと駄目なのか?

「決して知っているとは言わない(分かった気になるな)」とゴールドラット博士は言ったが、我々は相変わらず重大な結果を引き起こすかもしれない行動を取らないとならないに違いありません。重大な変化を取り入れるときは常に損失を被るリスクがあります。そのリスクを減らすには、適切で論理的な分析を行い、何かまずいことが起きそうなときタイムリーに警告してくれるセンサーを入れるなど、相当な努力が必要です。

出来ることは他にもあるのでは?

論理的な分析で悪い副作用を特定できなかったらどうでしょう? 我々は皆、分析には自分が前提にしている仮定を使っており、分析の質はそれが正しいかどうかに左右されます。しかし、重要な仮定の多くは隠されています。つまり、その仮定を使っているという自覚はありません。

その問題に対する簡単な答えは、私たちの分析結果を我々がお世話になった人々と共有することです。それには2つのプラス効果があります。

  1. 他人に説明しないといけなくなれば、我々は因果関係が明確に分かるように問題とその解決策を述べなければならなくなる。私たちが「頭の中で」考えている時にすることは「手抜き」できない。したがって、他の誰かが聞くという事実だけで、その人に分かるよう論理を説明しないといけないと我々は感じて、ロジックをよく吟味せざるを得なくなる。そうすると、我々は時には欠けたものを自分の目で見ることになるが、それは重大な欠陥であることが多い
  2. あり得る欠陥を自分が見つけられなくても、他の人がそれを見つけられるように我々を導いてくれるかもしれない。我々が当然だと思っている仮定は、他の人もそう思っているとは限らない。もちろん、そのフィードバックの質は、他の人の専門知識と頭の柔らかさに大きく左右され、我々自身の分析と矛盾する熟慮のフィードバックを受け入れる覚悟があるかどうかにも大きく依存している。 

自分の人生を改善するのを邪魔する私たち自身の最大の障害は、私たちの自尊心です。それが、私たちを良いアイデアやチャンスから遠ざけるのです。私にはそれにどう対処したらよいか何も妙案はありませんが、他人の話を聞く耳がないと損することだけは覚えておいてください

人の話しを聞くのは指導を受けることと同じではありません。仮に聞くにしても、誰に聞くかも含めて、何をするかは、最終的に自分自身で決めなければなりません。他の人の話を聞くことが自分の評判と自尊心を低下させるという仮定はまったく間違いです。人と問題を議論するには、その人に対するある程度の敬意が必要で、少なくとも、彼らの知識と新鮮な気持ちで思考できる能力に対する感謝の気持ちがないといけません。しかし、その人は自分よりも高いレベルだと考える必要はありません。そう思うと、納得できなくてもその人の意見を受け入れなければならないかのように錯覚するので、実は何か悪い影響が生じます。正直に言えば、私が重要に感じていた問題についてゴールドラット博士と議論しようと思う時、「私に従う気の無いようなことをエリが言ったらどうでしょう?」という不安が私にもありました。とにかく、何があっても、最終決定は自分でしなければなりません

なら、いつ他の人の助けを求めたらいいの?

すべての問題でそれが必要でないのは明らかです。直感的に自分に確信が無いと分かった時に使えばいいでしょう。何かの問題で我々が苦しんでいるときは、常にそれなりの理由があると私は思います。いずれは自分たちで対立(あるいはジレンマ)をちゃんと言葉にして、その「クラウドを蒸発させる」だろうと思っているかもしれませんが、ずっと私たちに付きまとっているなら、それなりの理由があるはずです。それは、私たちがその理由を完全には認識できずに、直感が不満を発散し続けているのです。

私の個人的な話: 私の最初の本「Management Dilemmas」が日本語に翻訳されたときに、そういう直感の重要性を認識しました。その翻訳者は、私にいくつかのパラグラフを送ってきて「いったいこのパラグラフで何を言いたいんですか?」と尋ねました。まあ、彼女の言葉はもっと丁寧でしたが、そんな意味でした。彼女が質問したパラグラフのどれも、私がそれを書いたとき、私に苦労を与え、結局それが不満になったが、私はそれをあっさり無視していたのだと気づいて、私は非常に苦痛でした。友人の誰かに読んでコメントをもらうという知恵さえ私にあったら、そうなっていなかったでしょう。その後の私の本では、この感情にならないよう、Bill Dettmer氏を中心に他の人との共著にしました。

ということで、私たちの本ものの直感を頼りに、時には、そのような健全性のチェックを行って、誰かの支援を得て問題を診断して解決策を構築する方がよいでしょう。

これは、TOC Globalとして専門家による30分間無料相談サービスを提供する際、我々が注意しなければならないことです。私たちは、ストップウォッチで時間を測るようなことは決してしません。実務的でおそらく議論の余地のある問題を議論することが本当に必要だという、「当たり前の」事実を私たちは理解しています。 TOCの世界では、他の見識者と話さなくてもいい超専門家は、一人もいません。

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著者:エリ・シュラーゲンハイム
飽くなき挑戦心こそが私の人生をより興味深いものにしてくれます。私は組織が不確実性を無視しているのを見ると心配でたまりませんし、またそのようなリーダーに盲目的に従っている人々を理解することができません。

この記事の原文: When Support is Truly Required

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