【ブログVol.26】起きてはいけないことが起きてしまったら、あなたはどうしますか?

聖地エルサレムで実際あった話

4週間前、エルサレムで同性愛者団体の毎年恒例のパレードが行われました。警察は多数の人的パワーを投入して一切の暴力を封じることに専念させました。しかし、あらゆるセキュリティ対策にもかかわらず、急進的正統派の青年ができ得る限り多数の人々を襲撃しました。16歳の少女が殺害され5人が負傷しました。その犯人が拘束されたとき、彼は10年前にも同じパレードを襲撃し数人負傷させた罪で、懲役10年の刑に服していたことが明らかになりました。彼は今回の事件のわずか2週間前に釈放されたばかりだったのです。

この殺人事件は起きてはならないものでした。そのような人は再犯の恐れが高いという事前の知識も予測もあったのです。

その事件への無条件反射として、恐ろしい事件に対する責任者を問う審問が始まろうとしていました。役目を果たせなかった当局の責任者の解雇を要求するのが、これまでのイスラエルの政治に共通する文化です。悲劇的な結果がその欠陥をさらに深刻化させました。それは、あなたが結果に一切影響を及ぼさなかったにも関わらず、あなたが役目を果たさなかったことが悲劇的な結果を起こしたとして非難されるということです。それは恐ろしいことで、あなたがその犠牲になるのです。

私は最後の点を強調したい。なぜなら、それは不確実性の対処に対する一般的な無知が絡むからです。もし犯人が誰かを負傷させる前に阻止されていたら、審問や公的な処罰は一切無かったでしょう。ですから、このパラダイムでは、あなたが過ち犯したら、その過ちの結果にも責任があるということです。それは、実際の結果が運(または神様)次第であっても同じです。

文化上の問題のひとつは、「正当な処罰が下された」と感じるための要人の解任要求に、大衆の声としてメディアが加担することです。メディアには血の匂いに大きな価値があるのです。

こういう無条件反射で本当に将来過ちを犯す可能性が低くなるのか???

私の考えでは決してそんなことはありません。将来同様の過ちを犯すことを防げない原因は次に示した3つあります:

  • 私たちは、望ましくない結果を引き起こした問題の根本原因(Core cause)をよく理解していないことが多いのです。解決策ではなく犯罪の証拠を見つけようとする審問は、人々を怖がらせ、自分が後ろ指を指されるかもしれない事実を隠す原因になるのです!
  • たとえ沢山の事実が明らかになっても、「一体なぜ、優秀で経験豊富な人々が、悪い結果の連鎖を惹き起す過ちを犯したのか」という本当の問題が完全に理解されたわけではないのです。本当の教訓を学ばず消化もしなかったのであれば、当然真の変化も起きようがありません。
  • 過ちを犯した人は、どこが間違っていたのか、それは何故だったのか、直感的に解かることがしばしばあります。だとするとその過ちを犯した人々をそういう過ちを犯した経験のない人に交代させたら、交代した人々が同様の過ちを繰り返さない可能性はどうなると思いますか?

私は、組織行動論のコンサルタントAvner Passal博士と一緒に、(経験からの学習とも呼ばれる)一回限りの出来事から教訓を学びとるための方法論(Learning from ONE Event)を開発してきました。その内容はTOCICOサイトに掲載された過去のウェビナーにあります。発表したスライドを欲しい人は誰でも結構です、私の電子メールアドレスelischragenheim@gmail.com宛てにメールをください。

しかし、ひとつの不幸な出来事から正しい教訓を真に学びとるために必要な条件は、過ちを犯したことで人を訴追することではなく、同じ過ちが繰り返されないことを要求することです!

大きな過ちを犯した人に対して措置を講じるべきときが3つあります:

  1. 彼らに明確かつ重大な過失があった!
  2. 彼らが明らかに無資格の行為をして過ちを犯した! そう判断するには、有資格者なら誰も同じ過ちは犯さなかったのは、絶対に間違いがないという確信があなたになければならない。
  3. 彼らが意図的に損害を与えた! 私は、これは非常に稀だろうと信じるので、そうなったときは、一体なぜ誰かがそういう損害を引き起こしたいと思ったかということを、教訓として理解し学びとる目的で調査を開始するだろうと思う。

正しい文化が定着すれば、我々は皆過ちを犯すものだということが理解され、そのような過ちを実際犯した場合は、将来のために正しい教訓を学びとることが要求されるようになります。それを組織的な方法で実行することが真の価値を生むでしょう。

不幸な出来事を分析できる(予想外の幸運な出来事も扱える)能力は、未来永劫繁栄し続ける組織に繋がるTOCのカルチャーに不可欠な要素と見なされるようになるはずです。それによって、間違った中核的パラダイムの欠陥を診断して、注意深くその悪影響の展開を明らかにできます。


著者:エリ・シュラーゲンハイム
飽くなき挑戦心こそが私の人生をより興味深いものにしてくれます。私は組織が不確実性を無視しているのを見ると心配でたまりませんし、またそのようなリーダーに盲目的に従っている人々を理解することができません。

この記事の原文: What do you do when something that should not have happened – has happened?

全ての記事: http://japan-toc-association.org/blog/